ざいました。物の怪につかれた人の譫言《うわごと》とも、気狂いの独白とも感じられるような声でございました。しかし、後見の私にしてみますれば、これは、何か自分に云っていらっしゃることに違いない――と考えたのでございます。勿論のこと、そうであったのかも存じません。私は、また、いつもの、我意から踊りをいい加減に切り上げるか――または、踊りの一部を勝手にお変えになるについての私への注意に相違ないと考えたのでござます。――半四郎師匠は、いまも申しましたように、
「綱に、綱に……」
 と、申されながら、冠っていらっしゃる金烏帽子を、はね上げなさったのでございました。私は、つと、にじりよって、それを拾い上げたのでございますが、その瞬間に、思い出したことが御座いました。それは、落ちた烏帽子を後見が取りあげて、綱にかける型があるのでございます。これは、なんでも、ある名高い江戸役者が、この踊りを、おどっていらっしゃいました時に、烏帽子をはねた勢があまり強く、いきおいあまって、烏帽子が後にとび、綱にからまったのだそうで御座います。ところが、何がどうなるか、分らないもので御座いまして、これがまた大変な評判になり
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