へせり上るのでございます。ところが、この半四郎という俳優《ひと》は、鐘入りの場合に、決して、奈落へ抜けなかったのでございます。鐘が下りますと、舞台の上で、造りものの鐘に伏せられたまま、自分一人で蛇体の扮装をととのえ、隈どりももちろん、自分でなさっていたのでございます。……こうした話を聞きますと、誰しも、あのようなひとが、何故に、後見の手も借りずに、そうした不自由なことをなさるのであろうか――と、不審にお考えになるのでございます。それにはもちろん、何か、訳があったのに相違ございません。人々は折にふれては、自分勝手な臆測を逞《たくま》しゅうしていたのでございます。その中にも、穿《うが》ち過ぎたものに、かようなのがございました。それは、半四郎とても、以前は、娘道成寺の鐘入りには、普通、誰でもがするように、すっぽん[#「すっぽん」に傍点]から奈落に抜けそこで、後見の手を借りて、蛇体の扮装をし、それから、また、舞台に伏さった鐘の中へ迫り上るようになさっていた――しかし、何時かのこと、奈落へ下りる時、後見の不注意で、顛落《てんらく》した――怒《いかり》に燃えた半四郎が、男を責め折檻した。その男は、
前へ 次へ
全54ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
酒井 嘉七 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング