ございます。しかしそれにいたしましても、白拍子に扮装なさっている半四郎のあまりにも、異常な、そして、狂気じみた、その目なざしにその時、ふと、変な気もちになりましたのは、私のみでございましょうか!

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 踊りも、いよいよすすみまして、
 ※[#歌記号、1−3−28]思えば/\恨めしやとて
 と、蛇心をあらわすくだりになって参ったので御座います。そして、
 ※[#歌記号、1−3−28]龍頭に手を掛け飛ぶよと見えしが、引きかずいてぞ失せにける
 と、この文句で、白拍子の岩井半四郎さまは、鐘の中へお入りになったのでございます。

 舞台の中央には、鐘がふさっており、主演者のない舞台はお坊主さんたちにまかれております――つまり、祈りの段でございます。正面の山台にい並んだ長唄のご連中は、淋しい舞台を、唄で補う為でございましょう、一としお、声たからかに、
  謡うも舞うも法《のり》の声
 と三味線につれて、唄っていらっしゃいます。そうしたときに、鐘の中では、変化の拵《こしら》えが行われているのでございまして、舞台のお坊主連中と、入れかわりに、花四天《はなしてん》が大勢出てまいります。それからが、鐘を引き上げるくだんでございます。私たちは、じっと、息をこらして、鐘の上るのをまっていたのでございます。
 観客のどよめきと共に、鐘は上ったのでございます。中には、もう、変化になり終られた岩井半四郎が、被衣《かつぎ》を冠って、俯せになっております。これに、花四天がからみまして押戻しが出、そして、引っぱりの見得《みえ》となって、幕になるので御座います。ところが、唄が進みましても、変化にかわった白拍子が起き上らないのでございます。この瞬間、誰もがほとんど同時に、ある不気味な予感を感じたのでございましょう。あっと思わず、前かがみになりました時、舞台の横から、
「幕だ……」
 と、鋭い声が聞えたのでございました。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 名優、岩井半四郎の死因には、とてもむつかしい、専門的な名が付せられておりましたものの、結局、前額部に受けた外傷と、その結果としての急激な精神的衝撃のために、ご年輩のためでもございましょうが、つね日ごろから、ご丈夫でなかった心臓に、致命的な変化が起きたのでございました。――と、こう申しますれば、それでは、あの、誰一人と人間のいない、造りものの、鐘の中で、そうした原因を作る誰人《たれ》がいたのであろうか――加害者は誰であろう――と、声をおひそめになるでございましょう。
「それが、さっぱり、見当もつきませぬ」
 と、お答えいたしますと、
「それでは、変化の隈《くま》どりと、扮装の後見をしたのは誰であろう。その人達が、第一に嫌疑をうけねばならないのではあるまいか」
 ――と、重ねて、仰せになるでございましょう。しかし、あの扮装には、後見は一人もついていなかったのでございます。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 ご存じになりますように、娘道成寺の所作事で、白拍子の鐘入りになりますと、その役者は、蛇体に扮装いたしますためと、顔の隈をとりますために、すっぽん[#「すっぽん」に傍点]から、奈落へ抜けまして、半四郎のような名代役者でございますれば、四五人もの後見の手をかりて、隈どりをしたり、変化のこしらえをしたりするのでございます――つまり、舞台に伏せられた鐘の中で扮装をせずに、すっぽんから、舞台下に抜け、そこで総ての用意をすませて、時間がくれば、またもとの、鐘の中へせり上るのでございます。ところが、この半四郎という俳優《ひと》は、鐘入りの場合に、決して、奈落へ抜けなかったのでございます。鐘が下りますと、舞台の上で、造りものの鐘に伏せられたまま、自分一人で蛇体の扮装をととのえ、隈どりももちろん、自分でなさっていたのでございます。……こうした話を聞きますと、誰しも、あのようなひとが、何故に、後見の手も借りずに、そうした不自由なことをなさるのであろうか――と、不審にお考えになるのでございます。それにはもちろん、何か、訳があったのに相違ございません。人々は折にふれては、自分勝手な臆測を逞《たくま》しゅうしていたのでございます。その中にも、穿《うが》ち過ぎたものに、かようなのがございました。それは、半四郎とても、以前は、娘道成寺の鐘入りには、普通、誰でもがするように、すっぽん[#「すっぽん」に傍点]から奈落に抜けそこで、後見の手を借りて、蛇体の扮装をし、それから、また、舞台に伏さった鐘の中へ迫り上るようになさっていた――しかし、何時かのこと、奈落へ下りる時、後見の不注意で、顛落《てんらく》した――怒《いかり》に燃えた半四郎が、男を責め折檻した。その男は、
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