京鹿子娘道成寺
酒井嘉七

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)絢爛《けんらん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)※[#歌記号、1−3−28]|真如《しんにょ》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+主」、第3水準1−87−40]
−−

        序

 筆者が、最近、入手した古書に、「娘道成寺殺人事件」なるものがある。
 記された事件の内容は、絢爛《けんらん》たる歌舞伎の舞台に、『京鹿子娘道成寺』の所作事を演じつつある名代役者が、蛇体に変じるため、造りものの鐘にはいったまま、無人の内部で、何者かのために殺害され、第一人称にて記された人物が、情況、及び物的証拠によって、犯人を推理する――というのである。

 記述の方法は、うら若き、長唄の稽古人なる娘の叙述せる形式を用いているが、その口述的な説話体は、簡明な近代文章に慣らされた自分達には、あまりにも冗長に過ぎる感じを抱かしめる。

 書の体裁は、五六十枚の美濃紙を半折し、右端を唄本のように、綴り合せたもので、表紙から内容に至るまで、全部、毛筆にて手記されている。
 表紙の中央には、清元の唄本でもあるかのように、太筆で「娘道成寺殺人事件」と記されてあり、左下隅には、作者、口述者、又は、筆記者の姓名でもあろうか、「嵯峨かづ女」なる文字が、遠慮がちに、小さく記されている。
 書の全体は、甚だしく、変色し、処々は紙魚《しみ》にさえ食《は》まれている。従って、相当の年代を経たものと観察される。が、この一点に留意して、仔細に点検するとき、その古代味に、一抹の不自然さが漂う。――かくの如き疑問及び古典的ともいうべき取材にも拘らず、記述方法に、幾分の近代的感覚が察知しられること――その上、故意になされたと推定し得るほどにも、明白な時代錯誤場所錯誤、及びある程度の矛盾が、敢てなされていること、等を合せ考えるとき、この書物それ自体が、ある意味で、探偵小説味を有しているのではあるまいか、とも感じられる。――即ち、大正、または、昭和年間の、好事家《アマチュア》探偵小説作家が、彼のものせる作品の発表にあたり、かくの如き「古書」の形態を装い、同好者の何人かに入手されんことを、密かに、望んでいた……と。

 筆者は、右の事情を前書きすることに依って、この「娘道成寺殺人事件」の紹介を終り、姓名不詳の作者が希望していたであろう通りに、その全文を探偵小説愛好者諸氏の御批判に捧げる。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 わたくしが、あの興行を、河原崎座《かわらざきざ》へ見物に参りましたのは、もとより、歌舞伎芝居が好きであり、
[#ここから2字下げ]
瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》
芳澤《よしざわ》いろは
嵐雛助《あらしひなすけ》
瀬川吉次《せがわきちじ》
名見崎東三郎《なみざきとうざぶろう》
岩井半四郎《いわいはんしろう》
[#ここで字下げ終わり]
と申しますように、ずらりと並んだ、江戸名代役者のお芝居を、のがしたくはなかったからに相違ございませんが、それにいたしましても、中幕《なかまく》狂言の京鹿子娘道成寺――あの地《じ》をなさいました、お師匠の三味線を、舞台にお聞きしたいからでもございました。何分にも、あの興行は序幕が「今様四季三番叟《いまようしきさんばそう》」通称「さらし三番叟」というもので、岩井半四郎《やまとや》が二の宮の役で勤めますのと、一番目には、[#ここから割り注]いせ[#改行]みやげ[#ここで割り注終わり]川崎踊拍子《かわさきおんど》、二番目狂言には、「恋桜反魂香《こいざくらはんごんこう》」――つまり、お七《しち》が、吉三《きちざ》の絵姿を※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《た》くと、煙の中に吉三が姿を現わして、所作になる――という、あの「傾城浅間嶽《けいせいあさまだけ》」を翻あんしたもの――そして、つづく大切《おおぎり》が「京鹿子娘道成寺」で、役割は、白拍子《しらびょうし》に岩井半四郎、ワキ僧が尾上梅三郎《おのえうめさぶろう》に、瀬川吉次、長唄は松島三郎治《まつしまさぶろうじ》、坂田兵一郎《さかだへいいちろう》、三味線は、お師匠の杵屋新次《きねやしんじ》さまに、お弟子の新三郎《しんさぶろう》、その他の方々、お囃子《はやし》連中は藤島社中の方々――と、こういったあんばいで、どの幕も、凝りにこった出し物――どれに優劣をつけると申す訳にも参らないほどでございました。が、なんと申しましても人気の焦点は、大切の娘道成寺でございました。それと申しますのも、この所作をお踊りになる、岩井半四郎が、自他ともにゆるした、日
次へ
全14ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
酒井 嘉七 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング