元より勧進帳のあらばこそ、笈《おい》の内より往来の、巻物一巻とりいだし
のところなんぞも大変お上手に唄っていられました。が度々、調子をはずしては、また唄いなおしていられました。健さんはこうした時、そっと、上目で天井を見上げては、何となく落ちつかぬ御様子でございました。それも、そうした折、光子さんの、うろたえた、汗ばんだ面に注がれる師匠のきつい目を、想像していられたがためで御座いましょう。しかし、それにいたしましても、とても、お上手に唄っていられた光子さんが、
※[#歌記号、1−3−28]判官《ほうがん》おん手を取り給い
のところで、すっかり弱ってしまわれた様子でございました。二三度も、同じところを繰返していられましたが、四度目に、やっと、師匠のお許しがありましたのか、次にすすんで行かれました。が、その時、私は思わず、
※[#歌記号、1−3−28]判官……
と、光子さんの唄われた文句を、そのまま、口の中で繰返したのでございました。
二
二階から降りて来られた光子さんは、すっかり汗をかいていられましたが、私に軽く会釈されると、
「有難うございました」
と、
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