。例えて申しますと、あの殺人事件がありました時、師匠から最後のお稽古をうけていられた光子さんが、その時、唄っていられました勧進帳でございますが、あの聞きどころの、
 ※[#歌記号、1−3−28]判官御手を取り給い……
 が、どうも変でございます。
 御存じでもございましょうが、この長唄は、歌舞伎十八番勧進帳の、いわば、伴奏曲でございまして、この芝居が天保十一年の三月五目、河原崎座で初めて上演された際に、作曲されたものだそうでございます。劇の荒すじは、次の様でございます。

 頼朝《よりとも》公と不和になられた義経《よしつね》公が、弁慶《べんけい》と亀井《かめい》、伊勢《いせ》、駿河《するが》、常陸坊《ひたちぼう》の四天王を引きつれて陸奥《みちのく》へ下向される。一同は山伏に姿をやつしている。が、こうしたことは鎌倉に聞えている。それがために、関所でも、山伏は特に厳しく詮議されていた。関守の富樫左衛門は義経主従を疑惑の目で見守る。しかし、弁慶は落ちつきはらって、自分達は南都東大寺建立のため勧進の山伏となっているものである、と云う。関守は、若し、そうした御僧であれば、勧進帳を所持されているは
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