るのか。要するにその時代を知らないから出る言葉だと思う。
六九頁になって、文之丞の弟の兵馬という者が、「番町の旗本で片柳といふ叔父の家に預けられてゐた」と書いてあるけれども、三十俵か五十俵しか貰っていない千人同心が、旗本衆と縁を結ぶことはほとんど出来ない。従って旗本を叔父さんなんぞに持てるわけがない。奥多摩で生れた作者は、八王子に多くいた千人同心のことは委しく知っていそうなものだのに、こんなことを書くのはおかしな話だ。
七六頁に「名主は苗字帯刀御免の人だから、斬つてしまふといふのは事によると嘘ではあるまい」と書いてある。「苗字帯刀御免」というのは、士分の待遇を受けていることである。そういうものはたしかにあったに違いないが、苗字帯刀を許されたからといって、それ故に人を斬ってもいいというわけではないはずだ。帯刀を許すというのは、無礼討をしても構わない、という意味のものではない。無礼討でないにしろ、人を斬っていいということでは更にない。作者はそこのところがわかっていないようにみえる。
八二頁の、竜之助が侘住居をしているところで、「ほんとにもう日影者になつてしまひましたわねえ」と、今では
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