たらしいのに、その娘にこういうことを言わしている。これはいずれにも、ごく幼年の者の言う言葉でなければならない。
ところへこの店に入って来たのが、「切り下げ髪に被布の年増、ちよつと見れば、大名か旗本の後家のやうで、よく見れば町家の出らしい婀娜《あだ》なところがあつて、年は二十八九でありませうか」(五五頁)という女なのですが、これはどうも大変なものだ。何でも旗本の妾のお古で、花の師匠か何かをしている女らしいのですが、「大名か旗本の後家のやう」というのも、ありそうもない話だ。大名の後室様が、供も連れずに、のこのこ呉服屋なんぞへ買物に来るはずのものでなし、旗本にしたところが、同様の話です。しかも「よく見れば町家の出らしい婀娜な処がある」というんですが、そんなものが大名や旗本の家族と誤解されるかどうか、考えたってわかりそうなものだ。江戸時代においては、そんなばかなことは決してない。
この妙な女が五八頁のところで、七兵衛とお松に声をかけて、「もし/\、あのお爺《とつ》さんにお娘さん」と言っている。これもおかしい。世慣れた女であっても、何か力みのある女らしくみえるのに、こんなことをいう。そうかと
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