ように聞かせるために、「お君さん」はまだいいとして、「君ちやん」は少しおかしい。この娘はこのあとでも、「わいな」と現代的の「よ」だの「の」だのを、ちゃんぽんに用いています。この甲州大尽の娘と、伊勢生れの女中との言葉は、江戸のごく軽い暮しをしている人の娘らしく、言葉の上からは眺められる。
 六三六頁になりますと、甲府の御城の門番にかかって、お君が駒井に逢おうとするところがある。「門番の足軽は六尺棒を突き立て」と書いてあるけれども、甲府城に足軽がいたかいないか、これはたしかに同心のはずだ。同心も足軽も同じようなものですが、また決して間違うまじきものであります。
 この門番をしている者が、お君に向って「一応御容子を伺つて来るからお待ち召されよ」と言っている。どうも不思議な言葉を遣うもんだ。「何と仰有るお名前ぢや」とも、「有野村の藤原の家から来たお君殿」ともあるが、百姓の家から使に来た女――これは町人にしても同様ですが、それに対して「お名前」だの「お君殿」だのという言葉を遣うわけはない。足軽にしたところが、同心にしたところが、そのくらいの心得はあるはずだ。それにこういう場合は、やはり八右衛門と
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