位の脇差を一本差して、貧乏徳利を一つ提げたお仲間体の男でありました」というんですが、お中間体の男が、どうして脇差をさしていたろう。中間というものは、木刀きりしかさしていない。これはきまりきった話です。中間体に化けるのに、脇差をさしたんでは事こわしだ。
 六二六頁になって、お銀とお君とが御籤《みくじ》を取りに来る。そこでお銀が、「この通り八十五番の大吉と出てゐますわいな」と言っている。「わいな」は前にもあったが、どうも甲州人のみならず、誰の言葉にしても「わいな」はおかしい。お芝居のようだ。お君の方は伊勢古市の人だということだが、それが「この八幡様のお御籤が大吉と出ますやうならば、もう占めたものでございますね」と言っている。「占めたもの」なんていう言葉は、どうしても上方の人の言葉とは思えない。
 そうすると、今まで変に片づけていたお銀が、お君のことを「君ちやん」と呼んでいる。作者は折り返して「お銀様はお君を呼ぶのに君ちやんと云つたりお君と云つたり、またお君さんと云つたり色々であります」と言っているが、百姓大尽の娘にしたところで、少し村でも重んぜられているような人の娘ならば、自分の雇人でない
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