といいそうなものだが、そこまでは行き届かなかったとみえる。「上りました」も、百姓の家には不釣合だ。
 五六三頁にも、お銀の言葉として「其方《そつち》のお邸へ行つてはなりません」というのがある。この大百姓の家は、主人、姉娘、弟と区切って、住居が拵えてあるらしいが、その一つを指してお邸というのは、他に例のない言い方である。妙に気取ろうとするから、世間無類な言葉も出てくるわけか。そんなに大名めかしい生活をしているのかと思うと、その次の頁には、「三郎様は大きな下駄を引ずつて雨の中を笠も被らずに悠々と彼方へ行つてしまひます」と書いてある。三郎というのはお銀の弟で、「十歳ばかりの男の子」なのですから、子供が大人の下駄でも穿いて来たんでしょう。それは民間によくあることだからいいが、大名めかしい生活の家とすれば、相当に付きの者もいるし、その他にいろんな者もいるはずだから、子供がむやみに大人の下駄を穿いて出るなんていうことは、させもせず、また相当な家に育った子なら、そんなことはしないはずだ。大名・旗本といわず、大百姓・大町人にしても、子供のために別に住居を拵えておくほどなら、その子供が沢山下駄の脱いであ
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