うことを持ち出すのはおかしい。時代離れがしている。ここで前の娘のことを、「お嬢様」と言っているのも、奥様同様百姓家には不釣合である。
五五四頁に、お銀という娘の言葉として、「あの娘は綺麗な子であつたわいな」ということがある。「わいな」なんぞも、随分変な言葉だと思う。
それからこの百姓大尽の家に使われている幸内という若い者のことを書いて、「見ると幸内は小薩張《こざつぱり》した袷《あはせ》に小紋の羽織を引かけて」云々(五五六頁)といっている。百姓の家に使われている者などが、小紋の羽織を着るものか、着るものでないか。
五五七頁に、お銀がお君という女中を呼んで来いと言う。それを傍輩の女中が羨しがって「お前さんばかり、そんなお沙汰があつたのだから」と言っている。こういうことは武士の家でも、よほどいいところでなければいけない。お沙汰という言葉が、どんな場合に用いられているか、少し昔のものを見れば、すぐわかる話です。いかに大尽にしたところが、百姓の家の召使が、「お沙汰」なんていうのは不釣合な敬語である。
五五八頁に「お君はお銀様の居間へ上りました」とある。「上りました」というなら、「御居間」
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