で革命党が謀叛を起してあるいは成功するかも知れないと思ってこれだけは止《や》めた。考えてみると似非物《にせもの》は真物《ほんもの》のザックバランに優ることはない。そこで[#「そこで」は底本では「こで」]いっそのこと、辮子を廃し、洋服を著《き》て、大手を振って往来を歩いた。
 街を通ると街中が笑い声になった。中には後《うしろ》へ跟《つ》いて来て罵る者がある。
『唐変木』
『仮洋鬼《チャーヤンタイ》』
 そこでわたしは洋服を著ずに支那服に改めると、彼等の悪罵はいっそう激しくなった。
 いよいよせっぱ詰った時、わたしは手に一本のステッキを持って出掛け、そういう奴等を片端から叩きのめした。で、彼等はようやく罵らなくなったが、まだ打ったことのない新しい地方へ行《ゆ》くとやっぱり罵られた。わたしはこの事について非常に悲哀を感じ、今も時々思い出すのである。それはわたしの留学中に新聞に掲載された本田|博士《はくし》の南洋及び中国視察談である。この博士は支那語も馬来《マレイ》語もわからなかった。ある人が『君は話が出来ないでどうして旅行する』と聞くと、博士は持っていたステッキを示し、『これがすなわち彼等の
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