不便を感ずるからだ。ところが、ここに意外にも何ほどかの同窓生――頭の上にぐるぐると辮子を巻きつけた彼等がまずはなはだわたしを嫌い出し、監督も大《おおい》に怒って、わたしの学費の支給を差留め、中国に送り返すと言った。幾日も経たぬうちにこの監督さん自身も人から辮子を剪《き》られて逃走した。剪り取る人達の中には革命軍の鄒容《すうよう》という人もいた。この人もそれがため二度と留学することが出来ず、上海《シャンハイ》に帰って来て、後には租界監獄の中で死んだが、君はもうとうに忘れてしまったろうな。
四五年経つと家の都合がだいぶん以前とは違って来て、何か些細の仕事でもしなければ餓《う》えそうになるので是非なく中国に帰って来た。わたしは上海《シャンハイ》に著《つ》くや否や、一本の仮辮子《つけまげ》を買取り――その時二円の市価であった――家《うち》へ帰るまで付けて歩いた。母親は結局なんにも言わなかったが、よその人は一目見るとまずその辮子について研究し始め、それが似非物《にせもの》であると知るや、すぐに冷笑を浴せかけ、わたしを断頭の罪名に当てた。本家にあたるある者はわたしをお上に訴える準備までしたが、後
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