にくくなって来た。だから追い使いのボーイや出入の商人にはいうまでもなく、彼の奥さん、方太太《ファンタイタイ》ですらも彼に対してだんだん敬意を欠くようになって来た。彼女は近頃調子を合せず、いつも一人|極《ぎ》めの意見を持出し、押しの強い仕打ちがあるのを見てもよくわかる。五月四日の午前に迫って彼は役所から帰って来ると、彼女は一攫みの勘定書《かんじょうがき》を彼の鼻先に突きつけた。これは今までにないことである。
「すっかり〆め上げると百八十円。この払いが出来ますか」
彼女は彼に目も呉《く》れずに言った。
「フン、乃公《おれ》はあすから官吏はやめだ。金の引換券は受取ったが、給料支払要求大会の代表者は金を握り締め、初めは同じ行動を取らない者にはやらないと言ったが、あとでは、また、彼等の跡へ跟《つ》いて行ってじかに受取れと言った。彼等はきょうお金を握ると急に閻魔面になった。乃公《おれ》は実際見るのもいやだ。金は要らない、役人もやめだ。これほどひどい屈辱はない」
方太太はこの稀れに見るの公憤を見ていささか愕然としたが、すぐにまた落ちついて
「わたしはやはり御自分で取りに被入《いらっしゃ》る方がいいと思います。これじゃしようがありませんからね」
と、彼女は彼の顔色を窺った。
「乃公《おれ》は行《ゆ》かない。これは官俸だよ。賞与ではないぞ。定例に依って会計課から送って来るのが当りまえだ」
「だけど、送って来なかったらどうしましょうね。おお昨日いうのを忘れましたが、子供の月謝をたびたび催促されて、もしこの上払わないと学校で……」
「馬鹿《ばか》言え、大きな大人を教育してさえ金が取れんのに、子供に少しばかり本を読ませて金が要るのか」
彼はもう理窟も何も放《ほ》ったらかしで彼女を校長がわりにして鬱憤を晴らすつもりでいるらしいから手がつけられない。で、彼女はなんにも言わない。
二人は黙々として昼飯を食った。彼は一しきり考え込んでさも悩ましげに出て行った。
旧例に依れば近年は節期や大晦日の一日前にはいつも彼は夜中の十二時頃、ようやく家に到著して歩きながら懐中を探り大声出して
「おい、取って来たよ」
と、ごちゃ交ぜにした中国交通銀行の紙幣を彼女に渡し、顔の上にはいささか得意の色があった。ところが五月四日のきょうというきょうは先例を破って彼は七時前に帰って来た。
方太太は大層心配し
前へ
次へ
全9ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
魯迅 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング