端午節
魯迅
井上紅梅訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)方玄綽《ほうげんしゃく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大|見栄《みえ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「にんべん+尚」、第3水準1−14−30]
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方玄綽《ほうげんしゃく》は近頃「大差ない」という言葉を愛用しほとんど口癖のようになった。それは口先ばかりでなく彼の頭の中にしかと根城を据えているのだ。彼は初め「いずれも同じ」という言葉をつかっていたが、後でこれはぴったり来ないと感じたらしく、そこで「大差ない」という言葉に改め、ずっとつかい続けて今日《こんにち》に及んでいる。
彼はこの平凡な警句を発見してから少からざる新しき感慨を引起したが、同時にまた幾多の新しき慰安を得た。たとえば目上の者が目下の者を抑えつけているのを見ると、以前は癪に障ってたまらなかったが、今はすっかり気を更《か》えて、いずれこの少年が子供を持つと、大概こんな大|見栄《みえ》を切るのだろうと、そう思うと何の不平も起らなくなった。また兵隊が車夫を擲《なぐ》ると以前はむっとしたが、もしこの車夫が兵隊になり、兵隊が車夫になったら大概こんなもんだろうと、そう思うともう何の気掛りもなかった。
そういう風に考えた時、時にまた疑いが起る。自分はこの悪社会と奮闘する勇気がないから、ことさら心にもなくこういう逃げ路を作っているのじゃないか。はなはだ「是非の心無き」に近く、好《よ》きに改めるに如かざるに遠しというわけで、この意見が結局彼の頭の中に生長して来た。
彼がこの「大差無し」説を最初公表したのは、北京《ペキン》の首善学校《しゅぜんがくこう》の講堂であった。何でも歴史上の事柄に関して説いていたのであったが、「古今の人相遠からず」ということから、各色人種の等しき事、「性相近し」に説き及ぼし、遂に学生と官僚の上に及んで大議論を誘発した。
「現在社会で最も広く行われる流行は官僚を罵倒することで、この運動は学生が最も甚《はなはだ》しい。だが官僚は天のなせる特別の種族ではない。とりもなおさず平民の変化したもので、現に学生出身の官僚も少からず、老官僚と何の撰ぶところがあろう。『地を易《か》
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