、そこに一種の私心的不平が伴うていることがわかり、決して自分が官僚を兼ねていることを弁解したものではない。ただいつもこういう場合に彼は常に喜んで、中国将来の運命というような問題を持出し、慎みを忘れて自分が立派な憂国の志士であるように振舞う。人々は常に「自ら知るの明」なきを苦しむものである。
 しかし「大差無し」の事実はまたまた発生した。政府はまず人の頭痛の種を蒔く教員を放《ほ》ったらかしたが、あとではあっても無くてもいいような役人どもを放《ほ》ったらかした。未払いまた未払い、さきに教員を軽蔑していた役人どもは、そのうち幾人かは月給支払要求大会の驍将《ぎょうしょう》となった。二三の新聞には彼等を卑み笑う文字がはなはだ多く現われたが、方玄綽はこれを少しも不思議とは思わない。何となれば彼の「大差無し」説に依って、新聞記者はまだ潤筆料《じゅんぴつりょう》の支払いが停止しないから、こういう呑気な記事を書くので、万一政府もしくは後援者が補助金を断つに至ったら、彼らの大半は大会に赴くだろうと認識したからである。
 彼は既に教員の月給支払請求に同情したので、自然同僚の月給支払請求にも賛成した。しかし彼は衆《みな》と一緒に金の催促にはゆかない。やはりいつものようにお役所の中に坐り込んでいる。彼は一人偉がっているのじゃないかと疑う人もあったが、それは一種の誤解に過ぎない。彼自身の説に拠ると、生れてこの方、人は彼に向って借金の催促をするが、彼は人に向って貸金の催促をしたことがない。だからこの点においては「長ずる処にあらず」。その上彼は手に経済の権を握る人物が大嫌いだ。この種の人物はいったん権勢を失って、大乗起信論を捧《ささ》げ、仏教の原理を講ずる時にはもちろんはなはだ「藹然親しむべき」ものがある。けれど未《いま》だ宝座の上にある時には結局一つの閻魔面《えんまづら》で、他人は皆奴隷のように見え、自分ひとりがこの見すぼらしい奴の生殺の剣を握っていると思っている。そういうわけで彼はこの種の人物を見るのもいやだし、また見たいとも思っていない。この気癖《きぐせ》が時に依ると、自分ながらも一人離れて偉く見えるが、同時に実は本領がないのじゃないかと疑うことがある。
 誰も彼も左を求め右を求め、一|節期《せつき》一節期を愚図々々《ぐずぐず》に押し通して来たが、方玄綽などは以前に比べるととてもあがきが取り
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