荘にいくらかお金を出して一緒に芝居を打つのである。その時分わたしは、彼等が何のために毎年《まいねん》芝居を催すか、ということについて一向|無頓著《むとんじゃく》であったが、今考えてみると、あれはたぶん春祭《はるまつり》で里神楽《さとかぐら》(社戯《ツエシー》)であったのだ。
 とにかくわたしの十一二歳のこの一年のその日はみるみるうちに到著した。ところがその年は本当に残念だった。早く船を頼んでおけばよかったのに、平橋村にはたった一つ大きな船があるだけで、それは朝出て晩に帰る交通機関で、決してよそ事には使えなかった。そのほか小船はあるにはあるが、使い途《みち》にならない。隣の村に人をやって訊いてみたが、もうみんな約束済であいてる船は一つもない。外祖母は大層腹を立て、なぜ早く注文しておかないのだ、と家《うち》の者を叱り飛ばした。母親は外祖母を撫《なだ》めて、「わたしども魯鎮は、小さな村の割合に芝居を多く見ているのですよ。一遍ぐらいどうだっていいじゃありませんか」と押止《おしとど》めた、だが、わたしは泣きだしそうになった。母親は勢限《せいかぎ》りわたしをたしなめて、「決していやな顔をしちゃいけ
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