で一家であった。そうはいうもののわたしどもは友達だ。喧嘩でもして年上の者を打つと一村の者は老人も若い者も、目上という言葉を想い出せない。彼等は百人中、九十九人は字を知らなかった。
 わたしどもの日々の仕事は大概|蚯蚓《みみず》を掘って、それを針金につけ、河添いに掛けて蝦《えび》を釣るのだ。蝦は水の世界の馬鹿者で遠慮会釈もなしに二つの鋏で鈎《はり》の尖《さき》を捧げて口の中に入れる。だから半日もたたぬうちに大きな丼に一杯ほど取れる。その蝦はいつもわたしが食べることになるのだ。その次は皆と一緒に牛を飼うのだがこれは高等動物のせいかもしれない。黄牛《おうぎゅう》も水牛も空をつかってわたしを馬鹿にする。わたしは側へゆくことが出来ないで遠くの方で立っていると小さな友達はわたしが「秩秩斯干《チーチースーハン》」が読めることなど頓著《とんじゃく》なしに寄ってたかって囃《はや》し立てる。
 わたしがそこにいて一番楽しみにしたのは、趙荘《ちょうそう》へ行って芝居を見ることだ。趙荘は比較的大きな村で平橋村から五里離れていた。
 平橋村は村が小さいので、自分で芝居を打つことが出来ないから、毎年《まいねん》趙
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