はとりもなおさず、わたしが支那芝居に告別をした一夜で、もう一度そんなことに遇おうとも思わず、たまたま芝居小屋の前を過ぎても、わたしどもとはまるきり関係がなく、精神がすでに一つは天の南にあり、一つは地の北にあった。
けれどもその二三日前にわたしは思いがけなくある日本の本を読んだ。惜しいことには本の名前も著者の名前も忘れてしまったが、とにかく支那芝居に関することで、その中の一篇をかいつまんでいうと、支那芝居は無闇に叩き、無暗に叫び、無暗に踊り、観客の頭を昏乱《こんらん》させるから、劇場向きではないが、野広《のびろ》いところで遠くの方から見ていると、自然に面白味がわかって来ると書いてあった。わたしはその時そう思った。これはいつもわたしの胸の中にあってまだ言い出したことのない言葉だと。だからわたしはいい芝居は野外で見られるものと、しっかり覚えていた。北京《ペキン》へ行ってからも芝居小屋に二度入ったが、やッぱりあの時の影響を受けたのかもしれない。何しろこれは公共のものではないか。
わたしどもは年頃もおつかつだったが順序から言えば一番下の弟だ。外《ほか》に幾人も目上の者がある。村じゅうは皆同姓
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