あとで、二三日の暇を見て抜け出して行《ゆ》くのであった。わたしは母親に跟いて外《がい》祖母の家《うち》に遊びに行ったことがある。そこは平橋村《へいきょうそん》と言って、ある海岸から余り遠くもないごくごく偏僻《へんぴ》な河添いの小村で、戸数がやっと三十くらいで、みな田を植えたり、魚を取ったりそういう暮しをしている間に、ただ雑貨屋が一軒あるだけであったが、わたしに取っては極楽世界であった。ここへ来れば優待されるのみか「秩秩斯干幽幽南山《チーチースーハンユウユウナンシャン》」などというものを唸らなくともいいからである。
わたしと一緒に遊ぶいろいろの小さな友達が遠客が来たので、彼等もまた父母の許しを得て、仕事を控えてわたしのお相手をした。小村の中の一家の客もほとんど大概芝居のハネたあとの女を見に行くことを考えていた。しかし叫天はそこにもやッぱりいなかった……
さはさりながら夜の空気は非常に爽《さわや》かで、全く「人の心脾《しんひ》に沁む」という言葉通りで、わたしが北京《ペキン》に来てからこの様ないい空気に遇ったのは、この芝居帰りの外《ほか》にはなかったようにも覚えた。
この一夜《ひとよ》
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