エ》という)
わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、年頃もわたしとおつかつだし、閏月《うるうづき》生れで五行の土が欠けているから閏土と名づけたわけも知っていた。彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。
わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで
「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳《か》け出して行ってみると、彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔! 頭に小さな漉羅紗帽《すきらしゃぼう》をかぶり、項にキラキラした銀の頸輪《くびわ》を掛け、――これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、彼を庇護しているのである――人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。誰もいない時に好く話をして、半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。
われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、まだ見たことのないいろいろの物を街へ来て初めて見たとの話だった。
次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。
「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。わたしどもの沙地《すなぢ》の上に雪が降ると、わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、短い棒で大きな箕《み》を支え、小米を撒きちらしておきます。小鳥が食いに来た時、わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、小鳥は箕の下へ入ってしまいます。何でも皆ありますよ。稲鶏《いねどり》、角鶏《つのどり》、※[#「孛+鳥」、105−11]鴣《のばと》、藍背《あいせ》……」
そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた左《さ》のような話をした。
「今は寒くていけませんが、夏になったらわたしの処へ被入《いら》っしゃい。わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、観音様の手もあります。晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたも被入《いら》っしゃい」
「泥棒の見張をするのかえ」
「いいえ、旅の人が喉が渇いて一つぐらい取って食べても、家《うち》の方では泥棒の数に入れません。見張が要るのは※[#「權」の「木」に代えて「豸」、第4水準2−89−10]猪《いのしし
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