故郷
魯迅
井上紅梅訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)最中《さなか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)屋敷|内《うち》に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「孛+鳥」、105−11]
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 わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中《さなか》で故郷に近づくに従って天気は小闇《おぐら》くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村《あれむら》があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。
 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。
 わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳《よ》いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。
 わたしどもが永い間身内と一緒に棲んでいた老屋がすでに公売され、家を明け渡す期限が本年一ぱいになっていたから、ぜひとも正月元日前に行《ゆ》かなければならない。それが今度の帰省の全部の目的であった。住み慣れた老屋と永別して、その上また住み慣れた故郷に遠く離れて、今食い繋ぎをしているよそ国に家移りするのである。
 わたしは二日目の朝早く我が家の門口に著《つ》いた。屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向って顫《ふる》えているのは、ちょうどこの老屋が主を更《か》えなければならない原因を説明するようである。同じ屋敷|内《うち》に住む本家の家族は大概もう移転したあとで、あたりはひっそりしていた。わたしが部屋の外側まで来た時、母は迎えに出て来た。八歳になる甥の宏兒《こうじ》も飛出《とびだ》して来た。
 母は非常に喜んだ。何とも言われぬ淋しさを押包みながら、お茶を入れて、話をよそ事に紛らしていた。宏兒は今度
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