初めて逢うので遠くの方へ突立って真正面からわたしを見ていた。
 わたしどもはとうとう家移りのことを話した。
「あちらの家も借りることに極《き》めて、家具もあらかた調えましたが、まだ少し足らないものもありますから、ここにある嵩張物《かさばりもの》を売払って向うで買うことにしましょう」
「それがいいよ。わたしもそう思ってね。荷拵《にごしら》えをした時、嵩張物は持運びに不便だから半分ばかり売ってみたがなかなかお銭《あし》にならないよ」
 こんな話をしたあとで母は語を継いだ。
「お前さんは久しぶりで来たんだから、本家や親類に暇乞いを済まして、それから出て行くことにしましょう」
「ええそうしましょう」
「あの閏土《じゅんど》がね、家へ来るたんびにお前のことをきいて、ぜひ一度逢いたいと言っているんだよ」と母はにこにこして
「今度|到著《とうちゃく》の日取を知らせてやったから、たぶん来るかもしれないよ」
「おお、閏土! ずいぶん昔のことですね」
 この時わたしの頭の中に一つの神さびた画面が閃き出した。深藍色《はなだいろ》の大空にかかる月はまんまろの黄金色《こがねいろ》であった。下は海辺の砂地に作られた西瓜《すいか》畑で、果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。項《えり》には銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒《さすぼう》を握って一|疋《ぴき》の土竜《もぐら》に向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼の跨《また》ぐらを潜《くぐ》って逃げ出す。
 この少年が閏土であった。わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。あの時分は父も在世して家事の都合もよく、わたしは一人の坊ッちゃまであった。その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る家《うち》の大祭の年に当り、祭は鄭重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、祭器の撰択が八釜《やかま》しく行われ、参詣人が雑沓《ざっとう》するので泥棒の用心をしなければならぬ。わたしの家《うち》には忙月《マンユエ》が一人きりだから手廻りかね、祭器の見張番に倅《せがれ》をよびたいと申出たので父はこれを許した。(この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年《チャンネン》といい、日雇いの者を短工《トワンコン》という。自分で地面を持ち節期時や刈入時に臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月《マンユ
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