んか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」
「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って……」
「おやおやお前は結構な道台《おやくめ》さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾《めかけ》さんがあって、外に出る時には八人|舁《かつ》きの大轎《おおかご》に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰《おっしゃ》ろうが、私を瞞《だま》すことは出来ないよ」
 わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると
「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」
 コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。
 そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸《ぬす》んで行李《こうり》をまとめ、こんなことで三四日も過した。
 非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著《き》こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管《ながぎせる》を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮《まつかわ》のような裂け目があった。
 わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら
「あ、閏土さん、よく来てくれた」
 とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜……けれど結局何かに弾かれたような工合《ぐあい》になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。
 彼はのそりと立っていた。顔の上には喜び
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