いたが、阿Qは大層喜んだ。
阿Qはまた大層|己惚《うぬぼ》れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の「文童《ぶんどう》」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や錢太爺《せんだんな》が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の外《ほか》に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって倅《せがれ》があればもっと偉くなっているぞ! 城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三|尺《じゃく》幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では「長登《チャンテン》」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「条登《デョーテン》」というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。鱈《たら》の煮浸《にびた》しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等
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