物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、陳獨秀《ちんどくしゅう》が雑誌「新青年」を発行して羅馬《ローマ》字を提唱したので国粋が亡《ほろ》びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより外《ほか》はなかった。そうして一個月たってようやく返辞《へんじ》が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、注音字母《ちゅうおんじぼ》では一般に解るまいと思って拠所《よんどころ》なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と書《しょ》し、更に省略して阿Qとした。これは近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
 第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる郡望《まつり》の旧例に拠《よ》り、郡名百家姓《ぐんめいひゃっかせい》に書いてある注解通りにすればいい。「隴西天水《ろうせいてんすい》の
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