い。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを竹帛《ちくはく》に著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、阿桂《あくい》あるいは阿貴《あくい》かもしれない。もし彼に月亭《げってい》という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
もしまた彼に一人の兄弟があって阿富《あふ》と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する文字《もんじ》は皆|変槓《へんてこ》な意味が含まれいっそう嵌《はま》りが悪い。以前わたしは趙太爺の倅《せがれ》の茂才《もさい》先生に訊いてみたが、あれほど
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