いつ頃から……ジルベールが……始めたのです?』
『いつと明確《はっきり》申上げかねますが、ジルベールは――やはり本名を申すよりこの名の方がよろしゅうございます――ジルベールは幼少の自分は愛嬌のある可愛らしい子供でしたが、ただ勉強が嫌いでなかなか強情張りでした。家に置きますと我侭も増長致しますから、十五の時に巴里《パリー》から少し離れた郊外にある中学校の寄宿舎に入れましたが二年と経たない内に退学されて参りました』
『なぜです?』
『品行が悪いんです。学校の方で調べた処によりますと、夜寄宿舎を抜け出たり、あるいは数週間も学校に帰らないで、家事上の都合で家《うち》に帰っていたなどと言訳をしていたそうでございます』
『何をしあるいていたんのでしょう』
『遊びあるいていたのです、競馬場へ入ったり、珈琲店《カッフェ》や舞踏場《おどりごや》へ入り浸っていたのです』
『そんなに金を持っていたのですか?』
『ええ』
『だれから貰っていたのです?』
『ある一人の悪漢が、親に内緒で金を貢いで、学校を抜け出させて、段々と堕落させる様に仕向け、嘘を吐くこと、金を遣うこと、盗みをすることなどを教わったのでございます』
『それはドーブレクですか?』
『そうです』クリラス・メルジイはしばし面《おもて》を両手に伏せて暗然としていたが、また語《ことば》を続けて、
『ドーブレクが復讐をしたのです。良人《おっと》もとうとう愛想を尽かして、ジルベールを勘当致しました。その翌日、ドーブレクはずいぶん皮肉な手紙を寄越しまして、あの子を堕落させようとした企みの成功した事を誇らしげに述べ、終りに「最近には感化院の御厄介となり、……次いで裁判所に曝され……終りに断頭台上の人となる事を希望致しおり候《そうろう》」ですって……』
 ルパンは叫んだ。
『何ッ! ではドーブレクの奴が今度の事件を細工したんですか?』
『いえ、いえ、それはほんのふとした間違いでして、あの忌わしい呪が事実になったに過ぎません。が私どもはそれ以来どんなに苦しんだ事でしょう。当時私は病気中でございまして、まもなくこのジャックが生まれました。それからと申しますものは、毎日の様に、ジルベールが行った悪事ばかりが耳に入ります、やれ偽造行使だとか、窃盗だ詐欺だと云う事ばかり……で私どもであれは外国へ行って、死んだと世間へは申しておりましたもののずいぶん悲しい日を送っていました。それにもまして悲しい事が良人《おっと》の政治関係で嵐の様に起って参りました』
『何んです、それは?』
『一語申上げれば御解りでしょうが、二十七人連判状の件です』
『アッ、そうですか!』
 ルパンが眼前に閉された垂帳《カアテン》は豁然《かつぜん》として開かれた。彼が今日まで黒暗々裡に、暗中模索に捕われていた迷宮に、忽焉《こつえん》として一道の光明が現れたのを覚えた。
 クラリス・メルジイは確《しっ》かりした口調でなお語り続ける。
『ええ、名前が載っているとは申しますものの、過失《あやまち》と云うよりは、不幸でしたのでしょう、つい犠牲になってしまったのです。当時メルジイは両海運河工事調査委員を致しておりました所から、会社の計画に賛成する者と一緒になってその方《かた》の投票を致しました。ええ、受取りました。確《たしか》に十五万|法《フラン》の金を会社から受取りました。しかしその金はある親密な政友の懐に入ってしまって、その政友の道具に使われたに過ぎないのでした。夫は少しもやましい所がないと信じていたのが大間違いでして、まもなく運河会社社長の自殺、会計課長の行方不明の事から運河事件に醜関係のある事が暴露致しまして、その時初めて、気付きますと、同僚の者が皆会社から買収され、各党の領袖《りょうしゅ》や、有力な閣員をはじめ収賄議員の名前が、秘密の連判状に乗っていると云う評判が立ちました。私どもは非常に心配致しました。その連判状が公表されはしないか、名前が世間に出はしないかとホンとに命も縮む様でございました。あなたも御承知の通り、議会は非常な騒動で、議員達も戦々兢々《せんせんきょうきょう》と云う有様でした。誰れがその連判状をもっているかは、少しも解りません。とにかく連判状があると云う事だけは確かでした。世間から睨まれた二人、その二人は嵐の中《うち》に葬られてしまいましたが、さて、誰れの手にその連判状が握られているかはとうとう分らずにしまいました。』
『ドーブレクですか?』とルパンが云った。
『いいえ。ドーブレクはその頃は名も知られない男で、まだ舞台へは現れて参りません。ところが、意外にも突然連判状の所在が知れました、と云うのは自殺した運河会社社長の従弟《いとこ》であるジェルミノーさんが肺病で死ぬる間際に、警視総監に手紙を途《おく》って、実はあの連判状は自分の室《し
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