つ》の金庫内に保管してあるから、自分の死後取り出してくれと申したのでございます。ジェルミノールさんの邸は直ちに警官で厳重に警戒し、総監は病床に付き切りでしたが、ジェルミノールさんが、死なれたので、金庫を開けて見ると、中は空虚《から》……』
『今度はドーブレクですな?』
『ええ、ドーブレクです』とメルジイ夫人の感情は次第に興奮して来た。『アレキシス・ドーブレクは、どうしてあの有名な書類がジエルミノーの手にある事を知ったか存じませんが、とにかく六ヶ月|前《ぜん》から巧みに変装して、ジエルミノーの書記に住み込み、あの方の死ぬ前の晩、金庫を破壊して窃《ぬす》み取ったのです。調査の結果、それがドーブレクの所業《しわざ》である事が解りました』
『だが、捕縛しないじゃありませんか?』
『でも仕様がありませんもの。ドーブレクはすぐにそれを安全な所へ匿《かく》してしまったでしょうし、それに捕縛など仕ようものならば、あの醜穢《きたな》い問題がまたまた火の手を揚げて、暗《くらやみ》の恥をあかるみへ出す様なものですからね』
『フム、なるほど?』
『そこで、ドーブレクと妥協をしたのです』
『エ、ドーブレクと妥協、こりゃ怪しい、ハッハ……』とルパンは笑い出した。
『まったく、をかしいんですよ』とメルジイ夫人は苦々しげに『この間にも、ドーブレクの方では早くも活動を開始しまして、最初の目的へ進みました。窃《ぬす》み出してから八日目に議院に夫を尋ねて参りまして、二十四時間以内に三万|法《フラン》の金を出せ。出さなければあれを発表して社会から葬ってやると脅迫しました。あの人間を知っている夫《たく》は、出さねばどんな事をされるか解らない、と云って金の調達は早々《はやばや》に出来ず、つい思案に余ってあの通り自殺致しました。……ですから、あの連判状を種に脅迫された方々は金を出すか、自殺するより外《ほか》に途《みち》がないのです』
『フーム、実に悪辣な野郎だ』
しばく沈黙している間に、ルパンは兇悪無残なドーブレクの生活を考えてみた。彼が一度連判状を握るや、これを材料《たね》にして盛《さかん》に暗《やみ》から暗へ辛辣な手を延ばして、大金を強請《ゆす》り取り、ついには閣員を脅迫して代議士になりすまし、当路の大官、醜代議士連の弱点を押えては私利私欲を恣《ほしいまま》にしているが、当事者もこの一個の怪物をいかんともする事が出来ず、毛を吹いて疵を求むる底の事を為すよりは、唯々諾々として怪兇の命にこれ従うより外《ほか》はないのであった。ただし唯一の対抗策としてプラスビイユを警視総監に抜擢したのも、要するにドーブレクと個人的に仇敵の間柄であるためで、わずかにこれをもって政府の大敵たるドーブレクに対抗せんとする真意に外《ほか》ならないのだ。
『で、あんたは彼と御会いですか?』
『ええ、時々会いました。と申すよりは会わなければならなくなりました。夫《たく》は死にましたが、名誉はまだそのままとなって、誰れもその真相を存じていません。ですから私は最初に、ドーブレクの会見申込に応じました』
『その後、たびたび御会いですか?』
『幾度も会いました』と夫人は力ない声で云った。『ええ幾度も会いました……劇場とか……夜、アンジアンの別荘とか……パリーの邸とかで……それも夜です……と申しますのは、私もあんな男と会うのを人に見られるのが恥しいからでございます。しかしそれも私の胸にある一年から余儀なくああしなければならなくなったのでして……私の夫の讐《あだ》を晴らしたいばっかりに……ええ、復讐です。私の今日までの行動も、生きていると云うことも、ただこの一念からでございます。夫の仇、我が子の仇、私の仇、あらゆる苦しみを与えられたこの私の仇、それを晴らします……私はこの外《ほか》に何の望みもありません、何の目的もありません。私の望む所は、ただあの男を踏みにじり、彼の苦痛、彼の涙を見たいばかりです……あの鬼の様な男にも涙があるか……それを見とうございます。あの男の悲涙《ひるい》、あの男の絶望!』
『あの男の死もまた欲するんでしょう』とルパンは過ぎし夜の彼等両人の悲劇を思い出して云った。
『いえ、殺したくはありません。そんな事を思わぬでもなかったのですが……殺そうと刄の腕を振り上げた事もございましたが……あの男だってそのくらいの用心はございます。のみならず、あの連判状が残っておりますし、それに、何も殺すばかりが復讐ではございません……私の恨み憎しみはもっともっと深うございます、死にまさる苦痛を与えて、この世からあの悪人を滅《ほろぼ》さなければ止みません、それにはただ一ツの方法、あの連判状を奪い返し、その爪を剥いでやります。ドーブレクは連判状《あれ》を持っていてこそ、力もありますが、あれがなくてはドーブレクの存在が
前へ
次へ
全35ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ルブラン モーリス の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング