て室内へ忍び込む方法を知るのみならず、かくも科学的にかくも敏活な行動をとれる奇怪な敵の何者であるかを知る事が出来るのだ。
 その晩、夕飯をすますとドーブレクは疲れたと云って十時に帰宅し、いつになく庭の扉《と》に閂《かんぬき》を差してしまった。こうなって来ると、例の連中はいかなる手段をもってドーブレクの室《しつ》に侵入せんとするだろうか?ドーブレクは電気を消した。例の連中は昨夜の時間より、やや早気味《はやぎみ》にすでに玄関の扉《と》を開けようとしている。試みは失敗らしく、数分間は静寂《せいしゅく》の裡《うち》に流れた。ルパンがさすがに手を引いたなと思う瞬間、悚然《しょうぜん》として戦慄した。静寂の中《なか》にごく微かな響《ひびき》も伝わらないのに、何者かが室内へ侵入して来た。いかに耳を傾け尽すともその階段の上へ昇って行く足音すら聞く事は出来なかったのに……。
 怪しの沈黙は長い間続いた。暗黒裡《あんこくり》に姿も見えず音も聞こえず動く魔のごとき影、ルパンは何をしていいのか見当もつかなくなって躊躇《ちゅうちょ》した。時計が沈黙の中《うち》から二時を打った。それがドーブレクの室《へや》の時計だと云う事は解った。して見ると代議士の室《しつ》とは扉《と》一重《ひとえ》をへだてるだけだ。
 ルパンは大急ぎで階段を降りて、その扉口《とぐち》へ近づいた。扉《と》は閉じられてある。左手《ゆんで》を見ると例の下のはめ[#「はめ」に傍点]板をはずした穴があいているらしい。
 耳をすますと、ドーブレクはこの時寝返りを打ったらしく、大きい寝息が聞こえて来た。と思うとごくかすかに衣服《きもの》を動している様な響きが耳についた。怪物は室内にあってドーブレクが脱ぎすてた衣服を捜しているらしい。
『今度は少し事件が明るくなって来たぞ』とルパンは考えた。『だが畜生め、怪物はどうして忍び込んだんだろう? あの鍵と閂をどうして外したろう?』
 しかしルパンは一瞬の間に自分のとるべき行動を決定した。彼は直ちに階段を降りてその一番下に陣取った。そこはドーブレクの室《しつ》と玄関の中間に位《くらい》するので、敵の退路はかくして完全にたたれた訳だ。
 暗黒裡の不安がひしひしと身に迫る! ドーブレクの敵にしてまた彼の強敵たる怪物は、今まさにその覆面を取らんとしているのだ。彼の計画は完全した。敵がドーブレクから盗奪《とうだつ》したもの、それを彼はドーブレクの寝ている間に途中でうまうまと横奪《おうだつ》せんとするのだ。
 宜《よ》し退却し始めた。その足音が手摺《てすり》から伝わって来る。彼はますます神経を尖らして次第に接近し来《きた》る怪敵を待ち受けた。突如、数|米突《メートル》の彼方《かなた》に敵の黒影らしいものを認めた。自分は暗い影に身をひそめているので発見される心配はない。
 時は今だ! 不意にパッと飛び出したので敵も驚いて立ち止った。ルパンはサッと黒影を目がけて飛び付いた。がドシンと階段の手摺に衝突したのみで、敵は早くも下をくぐって玄関の半ばまで鼠の様に逃げた。ルパンは一生懸命|追《おい》かけた。そしてからくも庭の扉《と》の出口で捕《とら》える事が出来た。
 アッと云う敵の声と同時に、扉《と》の向側《むこうがわ》からもアッと云う叫びが起った。
『ああ、畜生、どうしたんだいこりゃあ』とルパンは呟いた。その巨大なる鉄腕に掴まれたものは恐怖に戦《おのの》きふるえている小さな子供だ!
 彼は子供をしっかと上衣《うわぎ》に包《くる》んで、ひしと抱きしめながら、絹半巾《きぬハンケチ》を丸めて早速の猿轡《さるぐつわ》とし三階へ駈け上った。
『ホラ、御覧よ』と驚いて跳ね起きたビクトワールに向って云った。『とうとう敵の団長を召捕ったよ。当代の金太郎さんだ。乳母《ばあ》や、お菓子をやっておくれ』
 彼は団長を長椅子の上に置いた。見れば七ツか八ツくらいの男の子、毛糸で編んだ帽子を冠《かぶ》り、小さいジャケツを着ているがやや蒼《あお》ざめたいたいけな顔は可憐想《かわいそう》に涙に濡れている。
『まあ、どこから拾っていらっしたのですか?』
 と、ビクトワールは驚いて尋ねた。
『階段の下のドーブレクの室《しつ》を出た所でだ!』
 と云いながら、ルパンは例の室から何物かを持って来たのだろうと考えて、ソッとジャケツの衣嚢《ポケット》を捜して見たが、そこには何もなかった。その時ルパンは何を聞いたか、
『ヤッ乳母《ばあ》や、聞えるだろう?』
『何が?』
『金太郎君の部下の連中の騒ぎさ』
『まあ!』とビクトワールはもう色を失った。
『まあって云った処で、愚図々々《ぐずぐず》していて陥穽《わな》に落ちちゃあつまらない。そろそろ退却するかな。さあ、金太郎君いらっしゃい』
 彼は子供を毛布にグルグルと包《くる》んで
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