観劇に行くらしい。
『二ヶ月|前《ぜん》の様に桝《ます》を取っておきますが、留守中|盗賊《どろぼう》に見舞われては敵《かな》わないね』と笑いながらドーブレクが云っていた、という。
代議士が観劇の留守中にアンジアン別荘を襲ったのは六週間以前だ。相手の女を知り、さらにでき得べくばボーシュレーとジルベールとがアンジアン別荘襲撃の当夜、代議士の留守を偵知した方法を看破するのが、目下の急務だ。彼は早速ドーブレクの邸《やしき》を抜け出してシャートーブリヤンの自邸へ帰った。そして最も得意とする露西亜《ロシア》貴族の変装に取りかかった。部下も自動車でやって来た。
この時召使のアシルがミシェル・ボーモン宛の電報を受け取ってきた。訝りながら聞いてみると、
「コンヤ、シバイエクルナ。キミガクルトバンジダメニナル」
彼の立っていた傍の暖炉《ストーブ》の上に花瓶があった。彼はやにわにそれを掴むと床の上に叩き付けて微塵《みじん》に砕いた。
『解った!解った!ウヌッ!俺の常套手段を取っていやがる。どうするか見ろッ!』
彼は部下を引連れて自動車で飛び出し、ドーブレクの邸の少し手前で車を止めて待っていた。ドーブレクが邸を出ると、尾行の警官を撒《ま》くためにタクシーに乗るに相違ない。こうして自分の自動車を提供して易々と行先を突き止めようと云う計画だ。
七時半、邸の小門がギーと開いた。来たなと思うと、不意に爆音すさまじく、疾風のごとく走り出した一台の自動自転車《オートバイ》がボアの方向をさして矢のごとく疾駆し去った。
『勝手にしやあがれ、畜生ッ!』とルパンはいまいましそうに呟《つぶや》いた。そして再び自邸へ引き上げた。夕食をすますと再び車上の人となって巴里《パリー》における有名な劇場調査を初めた。ルネサンス座や、ジムナース座に飛び込んで、立見から桝を眺めた。ドーブレクらしい影が見えなければ次の劇場へ……かくて午後十時に至ってボードビルでようやくそれらしいのを発見した奥まった桝に、二枚の屏風で姿を隠している二人連れ、案内人にソッと聞いてみると肥《ふと》った相当年輩の男とヴェールに顔を包んだ婦人とが居ると云う。その隣室の空ていたのを幸いにそこを買って入った。
幕合《まくあい》の明るい光に照らされた横顔は確かにドーブレクだ。女の方は影になって姿が見えないが、二人は低い声で話し合っている。
十分間ばかりすると二人の居る席の戸を叩くものがある。劇場の案内人だ。
『代議士のドーブレクさんと仰《おっしゃ》いますね?』
『ウム』とドーブレクは驚いて声を出した。『どうして俺の名が解ったか?』
『ただ今御電話がございました、二十二号の桝に居らっしゃるから呼んでくれと仰いました』
『だれからだ!』
『アルビュフェクス侯爵様でございます。……いかが致しましょう?』
『フーン?……いや行こう! 行こう……』
とドーブレクはあわてて席を起《た》って出て行った。
ドーブレクの姿が消えると入れ代りにルパンはスーと音もなく入って来て婦人のそばに腰をおろした。
『あッ! ……アルセーヌ・ルパン』と女は呟いた。
ルパンもまた面喰《めんく》らって呆然たる事しばし、この女はルパンを知っている! 知っているのみならず、得意の変装まで看破してしまったのだ!
『さては知ってるか?……知ってるか?……』と呟きつつ彼は突如、女の顔を覆っているヴェールをパッと取り除いた。
『オヤッ!これは意外!』全く驚いた。彼は吃《ども》る様に云った。この女こそ、かつてドーブレクの邸で、深夜代議士に向って利刄を振りかざし嫌悪の力を繊弱《かよわ》き腕に籠めて一撃を加えんとしたあの女であった。しかし婦人の方でも少からず驚いたらしく、
『エッ!あなたはわたしを見覚えて居らっしゃるの?……』
『さよう、先夜、あの邸で短剱を振りまわした委細を見ています……』
彼女は早くも逃げ出そうとした。が彼は手早くその手を引き止めて、
『あなたは一体|何《な》んです、ぜひそれを伺わねばなりません……だからドーブレクを電話で呼び出したのです』
『では、あの電話はアルビュフェクス侯爵では無いのですか、ではすぐ戻って来ます……』
『それまでに暇がある……まあ聞きなさい……ぜひ今一度あなたに会わなければならない……きゃつはあなたの仇です、ですから私があなたをきゃつの手から救ってあげます……』
『私を信用なさい……あなたの利益は、私の利益ですぞ……。どこで会いましょうか? 明日《みょうにち》? え?――時間は?……場所は……?』
彼女は不安と疑惑の眼でルパンの顔を見詰めつつ躊躇《ためら》っていたが、やがて、明晰な口調で答えた。
『わたしの名は……申上げられません……まあとにかく一度御会いして御話を承りましょう……そう、御会い致しましょう……で
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