めの空缶の上の方を、きれいに取って、砂を半分ほど入れ、正覚坊の油をつぎこむと、油は砂にしみこみ、よぶんの油は、砂の上に三センチほどたまる。その砂に、帆布をほぐした糸で作った、灯心をさしこみ、火をつけると、りっぱな灯明になった。灯明の火が、風に消されないように缶づめの入れてあった木箱で、わくをつくって、帆布の幕をさげると、行灯《あんどん》ができた。
行灯の火を、昼も夜も消えないようにまもって、万年灯とした。そして万年灯は、ひっくりかえしたり、けとばしたりしないように、天幕のなかに、太い丸太を地面にななめにいけこんで、その先を、地面から一メートルぐらいの高さにして、ここへつるしておいた。炊事のときは、これから火種がとれるし、夜は、天幕のなかを明かるくして、みんなを喜ばせ、ほんとうに役にたった。
つぎに、毎日三度のたべものは、はじめは、島にいた四頭の正覚坊であった。それは、三日でたべてしまった。
それからは、魚をつった。つり針は、石油缶のとっ手になっている、太い針金をとって、先をとがらせて、まげたもの、また、缶づめの木箱の釘《くぎ》をぬいて、うまくまげてつくった。
魚つりなら、十六人のなかには、名人がいくらもいる。ヒラガツオ、シイラ、カメアジをはじめいろいろの魚が、いくらでもつれた。
魚の料理は、さしみが、いちばん手数がかからなくてよい。焼魚、潮煮、かめの油でいためたのもたべたが、これには、たいせつなたきぎを、使わなければならないから、たびたびはできない。
これは、すこしあとの話になるが、魚をつりはじめてから、米をたべることは、いっそう節約をした。重湯は、一日おきにし、また二日おきにした。しまいには、魚ばかりたべてくらした。
米を節約したのは、わけがある。それは、故国日本の人たちが、
――龍睡丸《りゅうすいまる》は、いつまでたっても帰ってこない。どうしたのだろう。漂流しているのか、沈没してしまったのか、行方不明になってしまった――
こういううわさをして――それが東京の新聞にでるのは、秋の末か、冬になってからであろう。
それから、捜索船を出してくれると考えると、来年の五、六月頃でないと、捜索船は、この島の付近にはやってこない。しかもこれは、私たちじぶんかっての考えで、故国の人たちは、われわれが無人島でくらしているとは、思わないかも知れない。
龍睡丸は沈
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