没して、乗っていた者は、みんな死んでしまったのだと思って、助け船など、出してはくれないかも知れないのだ。
 だから、米は、最後の食糧として、だいじにとっておかなければならない。それに、病人がでたとき、病人にたべさせるためにも、米は、できるだけ残しておきたかったからだ。

   砂山つくり

 島の生活にも、やっとすこしなれた、四日め。五月二十四日の朝から、一同は、大仕事をはじめた。料理当番のほか、総員、砂運び作業にかかったのだ。これには、つぎのような、大きな目的があった。
 いったいこの島から、われわれが日本へ帰るのには、どうしたらいいだろう。
 ――われらの宝物である伝馬船《てんません》で、ホノルルの港まで行こうか――こんな小さな伝馬船で、太平洋のまんなかを、ホノルルまで、島づたいとはいいながら、千カイリもある航海は、とてもできるものではない。
 ――では、われわれで、もっと大きな、がんじょうな船をつくろうか――それには船をつくる材料も、道具もないではないか。この計画はゆめのような話だ。
 ――それでは、日本から来る助け船を、待っていようか――いや、それこそ、まったくあてにならないことだ。
 ――それなら、この近くを通りかかる船を見つけて、助けてもらったらどうだろう――これならば、運がよければ、できることだ。
 この島は、軍艦や商船が通る航路には、あたっていない。しかし、いつ、どんな船が、こないともかぎらない。その通る船を、見のがしてしまったらたいへんだ。それこそ、いつまでもいつまでも、この無人島にとじこめられてはならない。そこで、通る船を見つけるために、見はり番が立つ砂山をつくることにした。
 砂山などをつくらずに、高いやぐらを組みたてればいいことは、わかっている。しかしそれには、長い太い木材が、少くも三本はほしい。だが、その木材がないのだ。
 島は、いちばん高いところでも、海面上、四メートルぐらいである。あとは二メートルぐらいで、うっかりすると、波をかぶりそうなくらいひくい島であるから、遠くが見えない。それで、島じゅうで、いちばん高い、西の海岸の草地へ砂を運んで、砂山をつくり、見はらしがきくようにするのである。これは、われら十六人が、島からぬけ出して、日本に帰ることが、できるか、できないかの大問題であるから、全員は、熱心に砂山つくりの大工事にかかった。
 砂山
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