わかりました。じつは私も、そう思っていたのです。これから私は、塾の監督になったつもりで、しっかりやります。島でかめや魚をたべて、ただ生きていたというだけでは、アザラシと、たいしたちがいはありません。島にいるあいだ、おたがいに、日本人として、りっぱに生きて、他日お国のためになるように、うんと勉強しましょう」
 漁業長は、
「私も、船長とおなじことを思っていました。私はこれまでに、三度もえらいめにあって、九死に一生をえています。大しけで、帆柱が折れて漂流したり、乗っていた船が衝突して、沈没したり、千島では、船が、暗礁《あんしょう》に乗りあげたりしました。そのたびに、ひどいくろうをしましたが、また、いろいろ教えられて、いい学問をしてきました。これから先、何年ここにいるか知れませんが、わかい人たちのためになるよう、一生けんめいにやりましょう」
 いちばんおしまいに水夫長は、ていねいに、一つおじぎをしてから、いった。
「私は、学問の方は、なにも知りません。しかし、いくどか、命がけのあぶないめにあって、それを、どうやらぶじに通りぬけてきました。りくつはわかりませんが、じっさいのことなら、たいがいのことはやりぬきます。生きていれば、いつかきっと、この無人島から助けられるのだと、わかい人たちが気を落さないように、どんなつらい、苦しいことがあっても、将来を楽しみに、毎日気もちよくくらすように、私が先にたって、うでとからだのつづくかぎり、やるつもりです」
 かれのいうことは、真実である。かれのふだんのおこないをよく知っている私は、まったく心を動かされた。
 私は、いまさらながら、三人のたのもしい強いことばに、心から感謝した。
 こうして、無人島生活の心の土台がきずかれて、進むべき道がきまったのだ。四人が立ちあがった時には、東の水平線が明かるくなって、海鳥が鳴きかわしつつ、島の上を飛びはじめていた。
 私は、このときから、どんなことがあっても、おこらないこと、そして、しかったり、こごとをいったりしないことにきめた。みんなが、いつでも気もちよくしているためには、こごとは、じゃまになると思ったからである。

   火をつくる

 この日の午後から、蒸溜水《じょうりゅうすい》の製造をやめた。それは、蒸溜水製造には、びっくりするほどたくさんにたきぎがいるからである。前にもいったように、たきぎは、
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