な鳥であると、つくづく感じたことがあった。
 宝島には、十数羽のアホウドリが、いつでもいた。この鳥は日中、数羽ずつ群れて、海上を飛んでえさをさがしている。なにか見つけると、その一つのえさをうばいあって、大きなくちばしで、たがいにけんかをするのだ。これは、どこでも見られることだ。
 さて、えさをたべて、おなかがいっぱいになると、その一群は、海面にうかんでつばさを休め、のんきそうに波にゆられている。
 このアホウドリの一群が、波の上でつばさを休めている時には、きっと、そのなかの一羽が、なかまの上空を、ぐるぐる飛びまわって、見はりをしている。そして、ある時間がたつと、ふわりとなかまのうかぶ海面におりて、つばさを休める。すると、すぐに、ほかの一羽が飛びあがって、また、見はり番をして、ぐるぐる飛びまわっている。これは、その一群が海にうかんでいる間、一時間でも、二時間でも、きっとやっているのだ。
 この見はり番は、アザラシもやっていて、べつにめずらしいとは思わないが、見はり番のアホウドリが海におりて、やっと波にうかんで、まだひろげたつばさをおさめないうちに、すばやく、ほかの一羽が舞いあがる。そのようすは、こんどはだれの番だと、きめてあるように見えるのだ。
 水夫長は、すっかり感心して、その強い研究心から、
「船長。どの鳥が、命令するのでしょう」
 と、きくのだ。これには、私もこまった。
「さあ、だれが命令するのかなあ……」
 こう答えるより、しかたがなかった。
「鳥の法律かしら」
 この水夫長のひとりごとには、みんな大笑いをした。しかし、よく考えてみると、どうして、笑うどころか、まだ人間にはわからない、むずかしい問題なのだ。
 さて、この日の朝、昼飯のため、魚をつったところ、意外の大漁であった、夕食のために、残った魚を生ぼしにしておこうと、四、五十ぴきの魚を、流木の丸太の上に、ほしておいた。
 私たちが、本部島に植える草ブドウの根をほって、ていねいに、草であんだむしろでつつんでいる間に、ただ一羽舞っていた、見はり番のアホウドリが、なまぼしの魚を見つけて、何かあいずをすると、海にうかんでいた一群のアホウドリは、いっせいに舞いあがってきて、なまぼしの魚を、おおかたさらって行った。
「この、アホウめ。おきゅうをすえてやれ」
 と、腹を立てた漁夫が、なまぼしの残ったのにつり針をつけて、
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