むこう傷のあかひげ』か――あっははは」
と、じょうだんをいった。するとすぐそばで、流木に腰をおろして、つり針の先を、ごしごしこすっていた川口は、立ちあがって、みんなの方にやってきた。
「いっとう強くて、胆の大きいのは、『鼻じろ』にきまっている。それが人助けのお役にたつのだ。やっぱりえらいや。お薬師様(病人をすくうといわれる仏さま)になるんだ……」
元気なく、しんみりといった。かれは、いつものように、胸をそらしていなかった。前かがみに、砂を見つめていた。
「鼻じろ」の胆をとることにきまってから、川口は、毎日のように、魚を持って、「鼻じろ」のところへ行った。
「おい。鼻じろ。おまえは二人の病気をなおすのだ。えらいんだぞ。この魚をたべてお役にたつまでにもっと強くなれ」
あらあらしい雄アザラシは、「ウオー」とほえて、魚をたべてしまうと、こんどは、川口の手に鼻をこすりつけて、うう、うう、うなりながら、あまえる。ひれのような前足で、川口をばたばたあおぐ。それから、鼻で川口をぐんぐんおして、なぎさにおし出して、しぶきを飛ばしていっしょに遊ぶ。いっしょにおよぐ。こうして魚を持っていくたびに、川口は、だんだんへんな気がしてきた。
「この『鼻じろ』が、殺されてしまったら、――いなくなったら……」
と、考えるようになった。
「さびしくなるなあ――」
と思うと、かなしい気もちが、心いっぱいにひろがるのだ。しかしすぐに、剛気なかれの本性は、それをふきけしてしまう。ちょうど、波がなぎさに、まっ白くくだけて、ぱっとひろがって消えてしまうように。
アホウドリのちえと力
こうして、数日がたつうちに、八月もすぎてしまった。十月になると、海がだんだんあれてくるであろう。それだから、九月いっぱいに、宝島から、運べるだけのものを本部島へ運んで、冬をこす支度をしておかなくてはならなかった。
それで私は、九月一日の朝早く、伝馬船《てんません》で本部島を出発して、あかつきの海を宝島へ向かった。一行は五人。私と水夫長と、宝島当番に交代する、三人の漕《こ》ぎ手であった。
正午ごろ宝島へ着いて、その晩も、二日の晩も、宝島にとまって、塩の製造、かめの捕獲、流木の貯蔵、本部島へ植えかえる草ブドウの根のせわなどのさしずをしながら、島中を念入りにしらべた。二日の午後、ふとしたことから、アホウドリは感心
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