国の船員にもわかるのである。
やぐらができると、さっそく、かがり火をたく支度をした。やぐらの下の砂山の上に、魚の骨、かめの甲、かれ草、板きれなどを、三ヵ所につみあげ、雨にぬれないように、帆布をかけた。そしてかめの油を入れた石油|缶《かん》を手ぢかにおいて、いざという時、万年灯から火種をとって、大かがり火をたき油をかけて、どんどん、煙と火をあげようと、待ちかまえた。
こうして、見はりをおこたらなかったが、その間には、雲のかけら、海鳥の飛ぶすがたも、船かと思ったり、また、夜ともなれば、
「あ、船のあかり」
と、星の光に、胸をおどらせたことも、たびたびであった。
島を中心とした、まんまるな水平線に、ただ目をこらして、通りかかる船を、一日千秋の思いで待った。だが、船はいつ通ることか。一ヵ月後か、一年後か、あるいは…… しかし、いつかは、きっと通るにちがいない。
魚の網
毎日のたべものをこしらえる料理当番も、なかなかの大仕事であった。たきぎを節約して、魚をつって、十六人分の三度の食事の支度をするのである。
六月のはじめから、魚がつれなくなった。みんな、すき腹をかかえる日もあった。
「網がほしい」
と、漁業長がいいだした。そこで、さっそく、網を設計した。大きさは、長さ三十六メートル、高さ二メートル。
「網をすく糸は、帆布をほぐしてとった糸に、よりをかけよう。網につけるうきは、木をけずって焼いたもの。おもりは、流木についていた、大きな釘《くぎ》や金物を使い、たりないところは、タカセ貝をつけよう」
というのである。すぐにはじめることになって、手わけをして、作業にかかった。
せっせと帆布をほぐす者。ほぐした糸に、よりをかける者。板をけずって、網すき針をつくる者。ずんずん支度ができた。四人の会員は、網をすいた経験があるので、網すき専門にかかって、朝から晩まで、毎日手を動かして、十四日間で、とうとうりっぱな網ができあがった。
さあ、まちかねた網だ。さっそく、伝馬船《てんません》に網をつんで、海上で働く者、なぎさで働く者、と、持場をきめて、総がかりで、網をたてた。すると、どうだ。とれたとれた、網いっぱいの魚で、どうにもならない。みんなは、長いぼうで、網から魚を追い出すのに、大骨折りをした。われわれは、これから先、いつまでも魚をたべて、生きて行かなければならない
前へ
次へ
全106ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
須川 邦彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング