。それで、必要なだけの魚をとって、あとはにがした。
 これで、網さえあれば、とうぶん、食糧はじゅうぶんである。しかし、みんなは、いくら魚がとれても、腹いっぱいたべるくせをつけないように、腹八分にたべることを、申し合わせた。それは、冬になって、しけがつづいたり、魚がいなくなる季節がきて、網でも魚がとれなくなるかも知れない。その時の、食糧節約になれるよう、腹をならしておくためであった。
 料理当番は、食器の心配もしなければならなかった。お皿には、クロチョウ貝を、おわんにはタカセ貝、お鍋《なべ》には、シャコ貝を使った。

   海鳥の季節

 島には、一日一日と、海鳥が多くなった。
 海鳥があつまる季節が、やってきたのだ。ついに、島いちめんの鳥になって、それが卵を生みはじめた。
 あひるくらいの大きさの、オサ鳥をはじめ、軍艦鳥《ぐんかんちょう》、アジサシ、頭の白いウミガラス、それから、アホウドリなどが、二メートル四方に、六、七十も卵を生むので、まるで島は、卵を敷石のかわりにしいたようになった。
 鳥は、せまい島の草原や、白い砂の上に、同種類ずつ集まって、けっして、入りまじってはいないのだ。鳥で色わけができていて、それは、国別に色をつけた、地図のようであった。
 卵は、むろん食糧にした。ゆで卵にしたり、また、シャベルにかめの油をたらして、火にかけ、シャベルをフライパンの代用にして、魚肉入りのオムレツをつくるなど、料理当番は、かわるがわるうでをふるって、毎日、卵ばかりごちそうした。

 この鳥の群を見ていると、おもしろい。
 軍艦鳥は、じぶんでえさの魚をとらずに、オサ鳥が海上を飛びまわって、さんざん働いて、うんと魚をのんだころを見さだめて、ふいに飛びかかって攻撃し、ひどくいじめて、のんだ魚をはき出させて、横取りしてしまうのだ。
 軍艦鳥は、鳥の追いはぎだ。
 しかし、われわれもときどき、軍艦島のまねをした。腹いっぱい魚をのんで、海岸にぼんやりしているオサ鳥を、ふいに、大声でどなったり、ぼうで地面をたたいておどかして、四、五ひきの魚をはき出させ、それをひろって、つりのえさにしたこともあった。
 アホウドリは、とても大食いな鳥だ。胃も食道もいっぱいになっても、まだ魚をのんで、大きな魚を半分、口からだらりとぶらさげて、胃のなかの魚の消化するのを待っていることがある。こんなときは、お
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