父は默つてゐたけれど、無論それを知つてるだらうと私は思つたので、自分一人が、この私の家に於ける最初の鶏の啼聲を聞き洩したことを、どんなに殘念に思つたか知れなかつた。

        二

 私は學校から歸ると、必ず自分のおやつを貰ふことゝ、それを喰べながら鶏を眺めることゝを忘れなかつた。おさつの臍の方などを投げてやると、雄鷄は「こゝこ、こゝこ」とつゝき廻しながら雌鷄に譲つてやるのだつた。けれども時々雄鷄が翼をひろげて雌鷄の方に寄つて行くのを見ると、雌鷄が一寸逃げるやうにするので、はじめのうちはよく雄鷄を袂で追ひ拂つたものだつた。雌鷄がいぢめられるのだと思つたものだから。
 ある日のこと、雌鷄はひとりで内庭の方に入つて來て、頻に何かを搜してゐる模樣だつた。
『玉子を生《な》すのかも知れないから、小屋の戸を開けてやつて見ろ。』と、母が言つた。
 それを聞くと、私は何か信じられないものを信ずるやうな期待でいつぱいになつた。言はれるとほりに小屋の戸を開けてやると、彼女はやがて用心しいしいその中に入つて行つた。
 私は幾度か小屋を覗きに行つた。その度に彼女は不安さうに首をのべて、私がどう
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