やうに起つて來た道徳的《だうとくてき》な心は、日光《につくわう》となつて私の胸に平和《へいわ》の芽を育《そだ》てます。けれども勿論《もちろん》穩《おだや》かな日和《ひより》ばかりは續《つづ》きません、ある時は烏《からす》が來て折角《せつかく》生《は》えかけたその芽をついばみ、ある時は恐ろしい嵐《あらし》があれて、根柢《こんてい》から何も彼《か》もを覆《くつがへ》してしまひます。恐らくその爭鬪《さうとう》は一生《いつしやう》續きませう。けれども秋々《あき/\》の實《みの》りは、必《かなら》ず何ものかを私に齎《もたら》してくれるものと信《しん》じてゐます。
私達はもと、道徳の形骸《けいがい》や、強《し》ひられた犧牲《ぎせい》やらを拒《こば》みましたけれども、今わが内心《ないしん》に新しく湧《わ》き起つて來た道徳的な感情《かんじやう》をもつて、初めて闇《やみ》の中に探《さぐ》り求めてゐたあるものをつかんだやうな氣がするのです。それは全く私の心の要求から掘《ほ》り起された泉でありました。自らを進《すゝ》んで犧牲にすることは、決して自らを殺《ころ》すことではなかつた!と私はこの頃さう思つて安《
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