も与らなければならない筈である。あの人のその力は弱い。希薄である。」
 私は併《しか》しいつもそれといふのを憚る。傷みやすいあの人の心に、血がにじむのを見るやうな気がしさうなので。
「重い泥の中に陥《はま》つた心、それはいくら抜け出ようと悶躁《もが》いても足が動かない。だのに、あの人はたゞ、そこを出て来い、抜け出て来いと叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]して居る。悲しむで居る。」
 私は黙るより外はなくなつてしまふ。
「一体泥とはなんだらう? 二人の生活?」
 そこに触るのは恐い。そしたらあの人は必とかういふ。「ぢや、別れよう!」
 私はそれが恐い。といつて、その言葉に嚇《おど》される訳ではない。あの人にだつて、私とおんなじく別れるなどゝいふ意志が毛頭ないことを、私は何よりもようっく信じて居る。だけども、そんな問題に帰着して行くのが恐い。「ぢや別れよう!」といふ言葉が、私の心を解さないことの、最も甚だしいものとして私を寂しがらせるからである。
「では、私は一体どうして欲しいといふのだらう?」
 潜然《さめざめ》と心が泣きながら、自分で自分に後指さしながら、たゞ目の前の充実を計
前へ 次へ
全20ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
水野 仙子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング