この頃ふとある考が私の心を捉へて放さない。それも不思議な樓閣に棲むやうなものゝ一つであるかも知れないけれど、ともかく私の心はその考に促されて止まない故に、私はしづかに百合さんにそれを書いて置かうと思ふ。
百合さん。
この手紙が他日私の亡いあとあなたのお目に觸れる事があつても、どうか死者に對した時にありがちのあらたまつた心持や、何となく感じるものである義務の念やに支配されずに、どうか自然な心持で、まだ生きて丈夫でゐる私のたよりの一つだと思つて讀んで下さい。それでないと却つて、私があなたにお話しようとする心持が、その自然さを失つて、この手紙の命を失つてしまふ事になりますから。
そして百合さん、たとへこの手紙が書置の形式をなすとしても、敢て告別の言葉をこゝにくだくだしく書き遺しますまいね。それはたゞ後に殘つた人の情緒をそゝつて、徒なかなしみを湧きたゝせるに過ぎませんから。おわかれなら多分もつとそれの適當した場合にする事が出來ませう。多分恐らくもう一度はあなたにもお目にかゝれる事が出來ると思ひますから。よしやまた私の終が意外に早く突然に來て、あなたにも誰にもお目にかゝられなかつたと
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