右に別れた。
「瀬川さん、××新聞ですね?」と、二三間行つてから、念を押すやうに、大越さんは振り返つて言つた。
「えゝさう、三面の下の方。」と、私はなほもでたらめに答へる。
大越さんの恐怖と心配に滿ちた顏を思ひ浮べると、少し罪なやうな氣もしたけれど、またそれを笑にかへす時のことを思ふと、私は更に元氣づいて、自然と歪《ゆが》んで來る口もとを袖で押へながら、勢こんでばたばたと診察室の方へ驅けて行つた。
ちやうど正午を少し過ぎた時分で、午前中の外來の患者は大抵歸つてしまつてゐた。藥局の前にはちらほらと藥を待つてる人が見えたけれど、廣い廊下は人影が稀になつて、そちこちの扉から出て來る白い上着の醫員や看護婦のみが、何か忙しげにどこへか消えて行く。
いつも今時分は内科も隙《ひま》なのを知つてゐるので、忙しい院長を職務外の事に向けさせるのに、ちやうどいい折だと私はひそかに思つた。私が扉をあける、すると大きな診察机に肘《ひぢ》をついて、ある患者の温度表を見ながら、一人の醫員に何事かを獨逸語《ドイツご》まじりに話してゐる院長が、ちらとこつちを振り返る。さうしてそこに「キューピーのマザア」が(私があ
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