つた。
「瀬川さんも、たうとう病院で花見をするやうになりましたね、もう二週間もしたら立派に咲きますぜ、この模樣ぢや。……えゝえゝ瞞《だま》したつて構ひませんとも!」
 扉を排して院長は出て行つた。二人の醫員もまた晝の休息に醫局へと去つたあと、そこらの掃除を始める看護婦の津野さんと大越さんをつかまへて、私はなほも四月一日の話をする。大越さんは少しもそんな事を知らなかつたけれど、東京くるしみの津野さんは、
「さうさう、その日はどんなに嘘をついてもいいのですつてね、無禮講なんですつてね。」と言つてゐた。
 遙に那須山の煙をなびかせて、風は少しづつ經めぐつてゐたけれど、よく晴れた日が二三日續いた。さうして四月は遂に來た。地には青い草が萠えてゐる。緋鯉《ひごひ》の背の浮ぶ庭の池の飛石に、鶺鴒《せきれい》が下りて來て長い尾を水に叩いてゐる。さうして紺青《こんじやう》の空! このうるはしい天日の下に、一體何が世には起つてゐるのか?
 私はその朝、この日頃の期待にも似ず、ぼんやりと寢床の中に一日の午前を費《つひや》しかけた。なぜかしら頭をそつとして置きたくて、一寸のあひだ體を動すのが厭《いや》だつた。
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