すぐに自分自身《じぶんじしん》のために、また子供達《こどもたち》の爲《ため》めに働《はたら》かなければならなかつた。彼女《かのぢよ》は間《ま》もなく親戚《しんせき》に子供《こども》を預《あづ》けて土地《とち》の病院《びやうゐん》に勤《つと》める身《み》となつた。彼女《かのぢよ》は脇目《わきめ》も觸《ふ》らなかつた。二|年《ねん》三|年《ねん》は夢《ゆめ》の間《ま》に過《す》ぎ、未亡人《びぼうじん》の操行《さうかう》に關《くわん》して誰一人《たれひとり》陰口《かげぐち》を利《き》く者《もの》もなかつた。貧《まづ》しくはあつたけれど彼女《かのぢよ》の家柄《いへがら》もよかつたので、多少《たせう》の尊敬《そんけい》の心持《こゝろも》ちも加《くは》へて人々《ひと/″\》は彼女《かのぢよ》を信用《しんよう》した。その間《あひだ》に彼女《かのぢよ》は産婆《さんば》の免状《めんじやう》も取《と》つた。
彼女《かのぢよ》が病院《びやうゐん》生活《せいくわつ》に入《い》つてから三|年目《ねんめ》の秋《あき》に、ある地方《ちはう》から一人《ひとり》の若《わか》い醫者《いしや》が來《き》て、その病院《びやうゐん》の醫員《いゐん》になつた。彼《かれ》は所謂《いはゆる》人好《ひとず》きのする男《をとこ》で、殊《こと》に院内《ゐんない》の看護婦達《かんごふたち》をすぐに手《て》なづけてしまうことが出來《でき》た。彼《かれ》は、自《みづか》ら衞《まも》ることに嚴《おごそ》かなもとめ[#「もとめ」に傍点]の孤壘《こるゐ》に姉《あね》に對《たい》する弟《おとうと》のやうな親《した》しさをみせて近《ちか》づいて行《い》つた。彼《かれ》は彼女《かのぢよ》よりも二つばかり年下《としした》なのであつた。いつの間《ま》にかぱつと二人《ふたり》の關係《くわんけい》が噂《うは》さにのぼつた。噂《うは》さが先《さ》きか、或《あるひ》は事實《じじつ》が先《さ》きか――それはとにかく魔《ま》がさしたのだと彼女《かのぢよ》はあとで恥《は》ぢつゝ語《かた》つた――間《ま》もなく彼女《かのぢよ》が二人《ふたり》の子供《こども》と共《とも》に、院内《ゐんない》の一|室《ま》に若《わか》い醫者《いしや》と起《お》き伏《ふ》しゝてゐることは公然《こうぜん》になつた。院長《ゐんちやう》の某《なにがし》が媒《なかだ》ちをしたのだといふ噂《うは》さも[#「噂《うは》さも」は底本では「噂《うはさ》さも」]あつた。人々《ひと/″\》はたゞ彼女《かのぢよ》も弱《よわ》い女《をんな》であるといふことのために、目《め》を蔽《おほ》ひ耳《みゝ》を掩《おほ》うて彼女《かのぢよ》を許《ゆる》した。けれどもそれは「あの人《ひと》さへも――?」といふ絶望《ぜつぼう》を意味《いみ》してゐた。
二人《ふたり》の關係《くわんけい》の眞相《しんさう》が、どんなものであつたかは誰《たれ》も知《し》らない。恐《おそ》らくは彼女自身《かのぢよじしん》にもわからなかつたことであらう。彼女《かのぢよ》は見事《みごと》に誘惑《いうわく》の甘《あま》い毒氣《どくけ》に盲《めし》ひたのである。
三ヶ|月《げつ》ばかり過《す》ぎると、彼女《かのぢよ》は國許《くにもと》に歸《かへ》つて開業《かいげふ》するといふので、新《あたら》しい若《わか》い夫《をつと》と共《とも》に、この土地《とち》を去《さ》るべくさま/″\な用意《ようい》に取《と》りかゝつた。彼女《かのぢよ》は持《も》つてゐるものを皆《みな》捧《さゝ》げた。いよ/\といふ日《ひ》が來《き》た。荷物《にもつ》といふ荷物《にもつ》は、すつかり送《おく》られた。まづ男《をとこ》が一足《ひとあし》先《さ》きに出發《しゆつぱつ》して先方《せんぱう》の都合《つがふ》を整《とゝの》へ、それから電報《でんぱう》を打《う》つて彼女《かのぢよ》と子供《こども》を招《よ》ぶといふ手筈《てはず》であつた。彼女《かのぢよ》は樂《たのし》んで後《あと》に殘《のこ》つた。さうして新生涯《しんしやうがい》を夢《ゆめ》みながら彼《かれ》からのたよりを待《ま》ち暮《くら》した。一|日《にち》、一|日《にち》と經《た》つて行《ゆ》く。けれどもその後《のち》彼《かれ》からは何《なん》の端書《はがき》一|本《ぽん》の音信《おとづれ》もなかつた。――さうしてそれは永久《えいきう》にさうであつた。
不幸《ふかう》な彼女《かのぢよ》は拭《ぬぐ》ふことの出來《でき》ない汚點《しみ》をその生涯《しやうがい》にとゞめた。さうしてその汚點《しみ》に對《たい》する悔《くゐ》は、彼女《かのぢよ》の是《これ》までを、さうしてまた此先《このさき》をも、かくて彼女《かのぢよ》の一|生《しやう》をいろ/\に綴《つゞ》つて行《ゆ》くであらう。
恐
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