冷《び》えとする寒《さむ》さは、部屋《へや》の中《なか》の薄闇《うすやみ》に解《と》けあつて、そろ/\と彼女《かのぢよ》を現《うつゝ》な心持《こゝろも》ちに導《みちび》いて行《ゆ》く。ぱつと部屋《へや》があかるくなる。君子《きみこ》は背《せ》のびをして結《むす》ばれた電氣《でんき》の綱《つな》をほどいてゐた。とその時《とき》、母《はゝ》は恰《あたか》もその光《ひか》りに彈《はじ》かれたやうにぱつと起《お》き上《あが》つた。
 今《いま》は彼女《かのぢよ》の顏《かほ》に驕《をご》りと得意《とくい》の影《かげ》が消《き》えて、ある不快《ふくわい》な思《おも》ひ出《で》のために苦々《にが/\》しく左《ひだり》の頬《ほゝ》の痙攣《けいれん》を起《おこ》してゐる。彼女《かのぢよ》は起《た》つて行《い》く。さうして甲斐《かひ》/″\しく夕飯《ゆふめし》の支度《したく》を調《とゝの》へてゐる娘《むすめ》をみると、彼女《かのぢよ》の祕密《ひみつ》な悔《くゐ》にまづ胸《むね》をつかれる。
 やう/\あきらかな形《かたち》となつて彼女《かのぢよ》に萠《きざ》した不安《ふあん》は、厭《いや》でも應《おう》でも再《ふたゝ》び彼女《かのぢよ》の傷所《きずしよ》――それは羞耻《しうち》や侮辱《ぶじよく》や、怒《いか》りや呪《のろ》ひや、あらゆる厭《いと》はしい強《つよ》い感情《かんじやう》を持《も》たないでは見《み》られぬ――をあらためさせなければ止《や》まなかつた[#「止《や》まなかつた」は底本では「止《や》まなつつた」]。彼女《かのじよ》はその苦痛《くつう》に堪《たへ》られさうもない。けれども黒《くろ》い影《かげ》を翳《かざ》して漂《たゞよ》つて來《く》る不安《ふあん》は、それにも増《ま》して彼女《かのぢよ》を苦《くる》しめるであらう。
 町《まち》の小學校《せうがつかう》の校長《かうちやう》をしてゐた彼女《かのぢよ》の夫《をつと》は、一|年間《ねんかん》肺《はい》を病《や》んで、そして二人《ふたり》の子供《こども》を若《わか》い妻《つま》の手許《てもと》に遺《のこ》したまゝ[#「遺《のこ》したまゝ」は底本では「遣《のこ》したまゝ」]死《し》んでいつた。殘《のこ》つたものは彼女《かのぢよ》の重《おも》い責任《せき》と、極《ごく》僅《わづ》かな貯《たくは》へとだけであつた。彼女《かのぢよ》は
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