《おそ》ろしい絶望《ぜつばう》の夜《よ》を呪《のろ》ひと怒《いか》りに泣《な》きあかした時《とき》、彼女《かのぢよ》はまだ自分《じぶん》を悔《く》ゐてはゐなかつた。たゞ男《をとこ》を怨《うら》んで呪《のろ》ひ、自分《じぶん》を嘲《わら》ひ、自分《じぶん》を憐《あはれ》み、殊《こと》に人《ひと》の物笑《ものわら》ひの的《まと》となる自分《じぶん》を思《おも》つては口惜《くや》しさに堪《た》へられなかつた。彼女《かのぢよ》に若《も》しもその時《とき》子供《こども》がなかつたならば、呪《のろ》ひや果敢《はか》なみや、たゞ世間《せけん》をのみ對象《たいしやう》にして考《かんが》へた汚辱《をじよく》のために、如何《いか》にも簡單《かんたん》に死《し》んでしまつたかも知《し》れない。
 人《ひと》の噂《うは》さと共《とも》に彼女《かのぢよ》の傷《いたで》はだん/\その生々《なま/\》しさを失《うしな》ふことが出來《でき》たけれど、猶《なほ》幾度《いくど》となくその疼《いた》みは復活《ふくくわつ》した。彼女《かのぢよ》は靜《しづ》かに悔《く》ゐることを知《し》つた。それでも猶《なほ》その悔《くゐ》には負惜《まけを》しみがあつた。彼女《かのぢよ》はその時《とき》自分《じぶん》の境遇《きやうぐう》をふりかへつて、再婚《さいこん》に心《こゝろ》の動《うご》くのは無理《むり》もないことだと自《みづか》ら裁《さば》いた。それを非難《ひなん》する人《ひと》があつたならば、彼女《かのぢよ》は反對《はんたい》にその人《ひと》を責《せ》めたかもしれない。それからまた彼女《かのぢよ》は、自分自身《じぶんじしん》のことよりも、子供《こども》の行末《ゆくすゑ》を計《はか》つたのだつたといふ犧牲的《ぎせいてき》な(自《みづか》ら思《おも》ふ)心《こゝろ》のために、自《みづか》ら亡夫《ばうふ》の立場《たちば》になつて自分《じぶん》の處置《しよち》を許《ゆる》した。結極《けつきよく》男《をとこ》の不徳《ふとく》な行爲《かうゐ》が責《せ》められた。さうしてたゞ欺《あざむ》かれた自分《じぶん》の不明《ふめい》に就《つ》いてばかり彼女《かのぢよ》は耻《は》ぢたのである。
 しかしその後《のち》、彼女《かのぢよ》は前《まへ》にも増《ま》して一|層《そう》謹嚴《きんげん》な生活《せいくわつ》を送《おく》つた。人々《ひと
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