/″\》は彼女《かのぢよ》に同情《どうじやう》を寄《よ》せて、そして二人《ふたり》の孝行《かうかう》な子供《こども》を褒《ほ》め者《もの》にした。誰《だれ》も今《いま》はもう彼女《かのぢよ》の過去《くわこ》に就《つ》いて語《かた》るのを忘《わす》れた。彼女《かのぢよ》の奮鬪《ふんとう》と努力《どりよく》は、十|分《ぶん》に昔《むかし》の不名譽《ふめいよ》を償《つぐな》ふことが出來《でき》た。時《とき》にはまた、あの恐《おそ》るべき打撃《だげき》のために、却《かへつ》て獨立《どくりつ》の意志《いし》が鞏固《きようこ》になつたといふことのために、彼女《かのぢよ》の悔《くゐ》は再《ふたゝ》び假面《かめん》をかぶつて自《みづか》ら安《やす》んじようと試《こゝろ》みることもあつた。彼女《かのぢよ》の悔《くゐ》はいつも反省《はんせい》を忘《わす》れてゐたのである。
月日《つきひ》と共《とも》に傷《きず》の疼痛《いたみ》は薄《うす》らぎ、又《また》傷痕《きずあと》も癒《い》えて行《ゆ》く。しかしそれと共《とも》に悔《くゐ》も亦《また》消《き》え去《さ》るものゝやうに思《おも》つたのは間違《まちが》ひであつた。彼女《かのぢよ》は今《いま》初《はじ》めて誠《まこと》の悔《くゐ》を味《あぢ》はつたやうな氣《き》がした。さうしてそれは何《なん》といふ恐《おそ》ろしいものであつたらう。[#「あつたらう。」は底本では「あつたらう」]
――彼女《かのぢよ》が勉《つとむ》の成長《せいちやう》を樂《たの》しみ過《すご》した空想《くうさう》は、圖《はか》らずも恐《おそ》ろしい不安《ふあん》を彼女《かのぢよ》の胸《むね》に暴露《あばい》て行《い》つた。無垢《むく》な若者《わかもの》の前《まへ》に洪水《おほみづ》のやうに展《ひら》ける世《よ》の中《なか》は、どんなに甘《あま》い多《おほ》くの誘惑《いうわく》や、美《うつく》しい蠱惑《こわく》に充《み》ちて押《お》し寄《よ》せることだらう! 外《そ》れるな、濁《にご》るな、踏《ふ》み迷《まよ》ふなと、一々|手《て》でも取《と》りたいほどに氣遣《きづか》はれる母心《はゝごゝろ》が、忌《いま》はしい汚點《しみ》の回想《くわいさう》によつて、その口《くち》を縫《ぬ》はれてしまふのである。さうしてそれよりも猶《なほ》彼女《かのぢよ》にとつて恐《おそ》ろしいこと
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