の前飾りじゃ。菊、存じておろう。鎧櫃《よろいびつ》と一緒に置いてある筈じゃ。大切《だいじ》な品ゆえ粗相あってはならぬぞ」
意外な命を与えました。
胸前《むなまえ》とは戦場往来、軍馬の胸に飾る前飾りです。品も不思議なら、不思議なその品を、いぶかしいことには馬ならぬ駕籠につけいと言うのでした。しかもそれを供にするというのです。
怪しみながら躊《ため》らっているのを、
「持って参らば分る筈じゃ。早うせい」
促して、ふたりに土蔵から運ばせました。
見事な桐の箱です。
表には墨の香も匂やかな筆の跡がある。
「拝領。胸前。早乙女家」
重々しいそういう文字でした。
只の品ではない。八万騎旗本が本来の面目使命は、一朝有事の際に、上将軍家のお旗本を守り固めるのがその本務です。井伊、本多、酒井、榊原の四天王は別格として、神君以来その八万騎中に、お影組というのが百騎ある。お影組とは即ち、将軍家お身代りとなるべき影武者なのです。兵家戦場の往来は、降るときもある、照る時もある、定めがたい空のように、勝ってみるまでは敗けて逃げる場合も覚悟しておかなければならないのです。お影組は即ちその時の用
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